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「沖縄慰霊の日に」には多くのコメントが寄せられた。その中で気になるものを取り上げ、補稿としたい。 確かにその通りです。読谷村ではオーラルヒストリーをアーカイブ化する試みが始まっているようです。ほかの市町村の対応は分かりませんが、広がってくれるといいと思っています。 米国が沖縄の平和施設の展示を見て、イラクやアフガンでひどいことをした、というのは論理の飛躍ではないでしょうか。もし、日本の平和施設が米国の政策決定に大きな影響を与えているなら、広島や長崎の原爆資料館や平和祈念館を見て、「核兵器はいかん。廃絶しよう」となっていることでしょう。ですが、残念ながら、そうはなっていません。東京都復興記念館をみて、無差別空襲は悪いってことを学習してくれれば、なんと素晴らしいことか、とも思うのですが。 軍を送った/送らないで、沖縄が「捨石」にされたかどうかを決めることができるのだろうか? Teruさん(いつも参考になるご意見ありがとうございます)が紹介してくれた防衛庁編集協力の月刊誌「セキュタリアン」でこう指摘している。 防衛庁所属の人物による筆だけあって、直截な表現とはなっていないが、沖縄県民には軍に「捨石」にされたという不信があると言っているのだ。その理由は、軍が被害を拡大させたため、としている(「名無し」さんは被害拡大を「住民側は退避命令が出ているのにもかかわらず退避しなかったのが大きな原因」としているが、何か根拠があれば、示していただきたい)。 「戦略持久の目的達成」とは何か。これは「来るべき本土決戦」に備えて、なるべく米軍を沖縄に釘付けにして、その戦力を消耗させることだろう。後退する先には多くの避難民がいる。そこを戦線にすれば、避難民が多く殺されることは自明の理だ。 このように、この後退に反対した第62師団の上野参謀長でさえ、死傷した戦友は慮るが、沖縄で暮らす人への言及はない。 これが、本土ならどうだったのだろうか、と僕は想像する。 沖縄に派遣された海軍陸戦部隊の指揮官に大田実という人がいた。牛島司令官に海軍部隊の南部撤退を求められ、拒否し、小禄の塹壕で最期を迎えた。この大田中将(戦死時は少将)が海軍次官に向けて打った電報がある。「沖縄県民斯ク戦ヘリ」として有名だが、その電文の最後の部分を現代仮名遣いにしながら引用する(●は判読不明な文字)。 決別の電報の常套句である「天皇陛下万歳」や「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」という言葉さえないこの電報に、なぜ、大田中将はわざわざ「日本人として」のという文字を入れたのだろうか? 米軍が上陸してから、こんな軍の命令が下されている。 「爾今軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以て談話しある者は間諜として処分す」 日本軍は沖縄の人々を信用していなかったのだ。 この蔑視思想があったからこそ、大田中将は「沖縄県民は日本人だ。沖縄の県民は精一杯戦ったのだ。特別の配慮をお願いしたい」と書いたのではないだろうか(そして、大田中将の想いは未だに実現されていない。それどころか、沖縄に負担を押し付けたままになっているのが現状だ)。 本土で同様の事態になったときも、日本軍は防空壕から人々を追い出したであろうか? 沖縄の人々が「捨石」にされたと感じるのは当然だろう。そして、僕もそう感じる。 名無し氏はこう書く。 目的達成のためには、やむをえない犠牲であったと言いたいのだろう。つまり、名無し氏は牛島司令官率いる日本軍と同じ視点に立っているのだ。 当時は「人の命よりも国体護持。それが常識だった」という人もいよう。でも、「だから仕方がなかった」で良いのか? 少なくとも沖縄戦の死者、その遺族に僕はそんな言葉は吐けない。 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という。 僕はもちろん賢者ではなく、脳内アルコール濃度の高い木偶の坊に過ぎない。しかし、多数の住民の命よりも戦略を重視するなんていう経験をしないと学べない愚者にはなりたくない。だから、僕はこのようなことを書き続けている。 この記事が面白かった/興味深かったと思った方は→ブログランキングに1票 【追記】Teruさんが紹介してくださり、この原稿でも取り上げた「沖縄戦再考『国土防衛総カ戦の緒戦』」は次ぎのように結んでいる。 この文脈の中で太字の部分はどう解釈すべきか? 1:「捨て石」となったのは、軍であって、沖縄県ではない。 2:沖縄県が「捨て石」となることを決断したのは、軍であって、沖縄県ではない。 どちらなのだろう? それとも別の解釈なのだろうか。 by brotherjin | 2005-06-24 22:30 | この国のカタチ
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