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「靖国参拝の不思議(上)」では、靖国参拝がそもそもは政教分離を巡る国内問題であったことを論じた。「同(下)」ではなぜ国際問題となったか、そして国際問題であり続けるかという点を論じる予定だが、その前に、なぜ、僕が靖国問題にこだわるのかについて書いておきたい。 なぜ、靖国問題こだわるのか? それは、靖国問題の本質が、決して過去の歴史認識などの問題ではなく、もちろん国際問題でもなく、僕らの将来、子どもの未来に関わる問題だからだ。 靖国神社という装置が果たしてきた役割を考えてみよう。 肉親が死んだら一番自然にわく感情はなんだろう。 そう、悲しみだ。 しかし、靖国神社は英霊を顕彰する施設であって、決して死者を悼む施設ではない。 靖国神社で許される遺族の態度は「何で死んでしまったのか」と泣き崩れることではなく、「お国のために立派に死んだ」と名誉に思うことである。本来自然であるべき死の悲しみを、死者が神となる喜びへと変えるのが靖国というシステムなのだ。 さらに言えば、本来国策の被害者であるはずの戦死者を、国のために闘った尊い犠牲者に変える。つまり、国=施政者を、戦地で戦えと命じ死に至らしめた加害者から、戦死者を神と変えてくれる「感謝すべき対象」へと変える役割も担っている。 被害者を犠牲者、加害者を感謝すべき対象、悲しみを喜びに変えることで、「英霊に続くもの」を再生産しようというのが靖国というシステムなのだ。 それは過去の話? 靖国参拝について、その意義に一番自覚的だった中曽根元首相は1985年7月28日に軽井沢で行われた自民党セミナーで次のように語っている。 最後の1行が非常に重要だ。つまり、靖国のようなシステムは「国に命をささげる」人を再生産する役目を果たしているということを見事に言い表している。 つまり、過去の話ではなく、これからも大いに関係してくる話なのだ。 靖国に祀られていることを誇りに思い、参拝している人を僕は止めない。 しかし、日本の代表たる日本の首相が、その職責にあるうちは、公式であろうと私的であろうと参拝するのは、僕は許される行為でないと考える。 それは、「英霊を再生産するシステム」に反対するからだ。 まず、国が国民に命をささげろと命令する事態になって欲しくない。国民の命を犠牲にしないことこそ、最良の政策だと僕は考える。 もし、国策によって人が死んだ場合、国家には「尊い犠牲者」などと誤魔化してほしくない。死者は国策の被害者であり、国=施政者は加害者であることを自覚せねばならない。 そして、何よりも「悲しみ」を収奪して欲しくない。 そう、僕は、僕の女房と2人の子どものために、僕の友人やその家族のために、「悲しみ」を「喜び」に変えるシステムが再稼動して欲しくないと思っている。だからこだわるのだ。 この記事が面白かった/興味深かったと思った方は→ブログランキングに1票 【追記】靖国に替わる国立追悼施設を作ろうという動きもあるが、その場合もそこが、「新しい犠牲者」を再生産するシステムになっては意味がない。そうならないことを望む。 【追記2】中曽根発言を「戦没者を祀る靖国神社を国の手で維持しないで、これから先、誰が国のために死ねるか」としているサイトも散見されたが、裏づけが取れなかったので、軽井沢セミナーの発言を紹介した。 【追記3】小泉首相は靖国参拝は、「戦争犠牲者に対する追悼と、先の大戦の反省に基づく不戦の誓いをする」ためという。しかし、靖国は追悼の施設ではないし、東京大空襲や原爆の死者、沖縄戦の犠牲者は祀られていない。また、靖国神社の資料館である「遊就館を見れば、先の大戦を反省し、不戦を誓うに相応しいとは決していえない場所であることが分かるはずだ。 【追記4】今年6月2日の衆院予算委員会で、「侵略戦争を正当化する靖国神社の戦争観に政府公認というお墨付きを与える」という野党側の批判に対し、小泉首相は「私は戦争への痛切な反省を表明している。参拝することが靖国神社の考えを支持しているととらないでほしい」と反論した(記事)。この反論がむなしく聞こえるのは僕だけだろうか。 【追記5】衣の下から鎧を見せまくっている人もいる。 ある意味、西村議員は靖国神社をとても正しくとらえているといえよう。 by brotherjin | 2005-06-15 20:20 | この国のカタチ
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