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脱線事故を取材する記者たちに、同じ取材する側として苦言を一つ呈しておきたい。JR西日本が開いた会見の場で、JR西日本の説明者をあたかも糾弾するような口調で責め立てる記者がいた。テレビの司会者が「僕らの声を代弁している」とか寝ぼけたことを言っていたが、もちろん違う。傲慢に聞こえるかもしれないが、ジャーナリズムは社会正義を実現するためにあるのだと僕は思っている。しかし、あの記者はその正義をはき違えている。 僕ら取材者はなぜ、あの会見の場にいるのか? それは国民の知る権利を代表して、あの場で明らかにせねばならない事実をはっきりさせ、相手が隠そうとすることを引き出し、分からない事実は何かを明確にするためにいるのだ。つまり社会正義を実現するために、その判断材料となる事実を読者/視聴者に提示するために、あの記者会見の場にいるのだ。社会正義そのものとなったり、社会の声を代弁して、相手を追求したり、指弾したりするためにいるのではない。 確かに、現場を取材して、被害者の生の声を聞くと、どうしても自分も被害者に同情的になる。同情的になるのは良いのだが、被害者の立場になってしまうことがある。僕もそうなったことはないとは断言はできない。しかし、これは、取材者に求められる態度ではないのだ。救助せずに出勤したことや、大事故を知りながらボウリング大会をしたことを問題視するのもよいだろう。でも、取材者はあくまでも事実を掘り出し、それを提示するのが仕事なのだ。それを逸脱してはいけない。許されるとすれば、その事実を分析した結果、分かったことを提示する、までだ。法的制裁は裁判所が下す。社会的制裁は事実が明らかになることで、世間が下す(それが間違っている場合も多々ある)。少なくとも取材者が現場で断罪すべきものではないのだ。 さらに言うと、現場で感情的になればなるほど、本来の役目である事実の掘り起こしがおろそかになるのだ。実は取材される側にとって、感情的に責められることほど楽なことはないのだ。涙を浮かべ、頭を下げて、平身低頭していれば良い。取材者は相手が申し訳なさそうな態度を取ることで一種のカタルシスが得られるかもしれない。絵的には、特に映像と音声を同時に流せるテレビには美味しいだろう。が、それは僕らの目的ではない。カタルシスを得ることで満足しているならば、それは単なるオナニー野郎で、取材者の資格はない。もし、そういう絵や音を撮りたくてやっていたのであれば、それは取材者ではなくて、ただのヤラセ野郎だ(言葉が汚くなって申し訳ない)。 臭い言葉になって恐縮だが、「熱い心を持って、冷静に取材する」。これこそが、僕ら取材者が心がけねばならない態度であり、それでこそ、本当の意味で「社会正義の実現」を手助けすることになるのだ。 【追記】上記の記事を書いたのは、かつての自分にそういう部分(自らが社会正義そのものになったかのように思いこむこと)が多分にあったからで、さらに、これからそうならないとも限らないので気を付けよう、という自戒も兼ねています。「人の振り見て、我が振り直せ」なのです。だいたい、自分のアラは分からないけど、他人のアラはよく分かるものなのです。 【追記2】この記者の名前を鬼の首を取ったように喜んで晒しているブログが少なくない。まあ、最初にこの記者を特定した某ライターの記事には一定の価値はあるかもしれない。しかし、その名前をコピーペーストしてあちらこちらに晒しているブログは、ただの「つるし上げ」ではなかろうか。自ら「社会的制裁」を加えて自己満足をしている、という意味では問題の記者の行為となんら変わりがない、と僕は思う。 【追記3】この記者がどこの社なのか判明する前に、なんの裏付けもなく、憶測だけで「●●新聞だ」「××新聞らしい」と書いたブログが散見された。中には非難のメールを送ったり、電話をかけたという記事まであった。そして、今、そういうブログを巡ると、ほとんどが自己弁護に終始し、反省の色もない。それでいて、この記者を居丈高に批判するその厚顔無恥ぶりは心から驚く。非難のメールや電話をした人は、謝罪のメールや電話をしたのであろうか・・・。 この記事が面白かった/興味深かったと思った方は→ブログランキングに1票 by brotherjin | 2005-05-06 09:09 | この国のカタチ
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